未来を失くした天使
〜 Lost Future Angel 〜

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愛也加(あやか)の最後は保育園のベッドでした。

幼くして未来を失くした、私の大切な天使…
乳幼児突然死症候群(SIDS)と窒息死(事故)の境界線…

その真実を解き明かすために闘った記録。

悲しい真実

愛也加の最後が『うつ伏せ寝』にされていた事実が判り、その事を主人に伝えました。
一瞬にして主人の顔色が変わるのが分かりました。

すぐに保育園の理事長を呼び、家に来てもらいました。私は、赤ちゃんをうつ伏せ寝で寝かせる必要はないと思っています。
上のお姉ちゃんも赤ちゃんの頃に、うつ伏せ寝にした事などありませんでした。
産婦人科の先生も、うつ伏せ寝を好まない先生でしたから、うつ伏せ寝にする指導なんて受けていませんでした。
基本的に危険なうつ伏せ寝をさせるなど、考えた事もありませんでした。

勿論、愛也加も生まれて一度も、うつ伏せ寝にした事がありません。
事故当日、愛也加は「あまりにも泣くから」と言う理由だけで、生まれて初めて、うつ伏せ寝にされ、誰一人からも見てもらえないまま、うつ伏せ寝の状態で、一人ぼっちで亡くなりました。

(泣いている赤ちゃんを、うつ伏せ寝にし、一人ぼっちにして目を離してしまう保育園など、親として預ける事は出来ません)一人の赤ちゃんだけを見る事が出来ないのかもしれませんが、そう言う場合は尚更、危険な「うつ伏せ寝」にしてはいけないのではないでしょうか?

【児童福祉法】

国の認可を受けている認可保育園には、児童福祉法(児童福祉施設最低基準)という法律があります。
(昭和二十三年十二月二十九日)(厚生省令第六十三号)
児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)第四十五条の規定に基き、児童福祉施設最低基準を次のように定める。

死亡時の施設の形態(これは認可保育園とわかっていました)
医師・看護婦・保母の数、及び一人当たりの受け持ち児の数、保健婦(看護婦)の有無、保育形態、
巡回監視、死亡前の食事(哺乳)内容と時間、これら基準が守られていたのか、とても疑問に思えました。

また、9名以上の対象乳児が入所する保育所の場合、保母のほか、保健婦(または看護婦)一人を置き、保母等これらの職員の定数は保母と保健婦(または看護婦)一人を合わせて、対象児3人につき一人以上となっています。

愛也加が緊急事態の時、保健婦(看護婦)は居ませんでしたので、救命処置はしてもらえませんでした。

母親が一人の赤ちゃんの面倒を見るのも大変な時があります。
お母さんは、赤ちゃんのお世話をしながら、家事の仕事もしなくてはいけません。
しかし保育園に居る保育者は預かった子供のお世話をするのが仕事なのです。
家で両立させている、お母さんとは違います。保母さんは保育のプロなのです。
命を預かる仕事なのです。簡単に手を抜く事は出来ないのです。
大切な子供の命を預けて働く、お父さんやお母さんは、安心して仕事をする事が出来ません。
どんな小さな事故でも起こってしまったのなら、嘘をつかず、真実を伝えるべきなのです。
そうではないでしょうか?

【真実〜つづき〜】

私達は、事故当日から、今日まで
『うつ伏せ寝』にしていた事実を隠されていた事と事故当日、
理事長は私達に、
『色白で、スヤスヤ眠っておられて、気が付かなかった!』という事について話し合いをしました。

『うつ伏せ寝』
については、後に書きますが先に、『色白でスヤスヤ眠っていて気が付かなかった』と言った事に対して、
理事長は、
『その様な事は言ってない!!』と言い出しました。

私達夫婦は悲しみのどん底に居るとき、理事長の『色白で、スヤスヤ眠っていて気が付かなかった』という言葉を、
『色白』=顔色が、ひと目で判る仰向き(うつ伏せ寝なんて想像もしていませんでした)。
『スヤスヤ眠っていて』=本当にスヤスヤと良く眠っていた。
『気が付かなかった』=苦しみで、もがき、泣き叫ぶ事無く、静かに亡くなっていった。この様に理解していました。

そして、刑事さんも『SIDS』の事を、苦しまずに、眠ったままポクッと亡くなる。そう教えてくださったからでした。

何度話し合いをしても、
『”色白で、スヤスヤ眠っていて気が付かなかった”という言葉は一切発言していない!』
の一点張りで平行線のまま全く解決しませんでした。『うつ伏せ寝』の問題については、
『うつ伏せ寝にしたのではなく、腹這いに置いただけ…』と何度も繰り返しました。
話し合いをする為、電話をすると出ては来るのですが私達の質問に対して何を答える訳でもなく、
『この問題は、持ち帰って、また、出直してきます』と言って帰ってしまいます。

保育園側からの連絡はなく、いつも耐え兼ねてこちらから電話を入れて出て来てもらっていました。

この様な説明をするのは理事長の娘で、『○○乳児保育園の園長』をしている人です。

愛也加を預けていた、光の子保育園にも、零歳児室にも居た訳ではないのです。
だから直接M保母に会って話を聞きたいと言っても、なかなか連れて来ませんでした。

【佐世保市への問い合わせ】

『佐世保市役所の人から愛也加の担当保母と会うのを止められている』と言うのなら、市役所の人と会って話をする必要があると思い、私は、佐世保市役所、子育て家庭課の担当の方と話をしました。

何故、事故当日、子供が死に至ったのか?死に至るまでの経過を知りたい。
親は、それを知る権利はないのでしょうか?
保育園はそれを知らせる義務はないのでしょうか?
何故、直接担任の保母に会って話をしていけないのでしょうか?などを聞きました。

その担当の方は、
『こちら(佐世保市)の方からは、そのような事(M保母とは直接会わせたり話をさせてはいけない等)は一切言っておりません』
と言われました。

私は、すぐに保育園へ電話を入れ、市役所の担当の方は『担当の保母と会うのを止めていない!』
と言われましたが、どう言う事ですか?と質問すると、乳児保育園の園長(娘)は、
『M保母も動揺しているから、会わないほうがいいかなと思って…』と言いました。

(私は直感で、M保母と直接会うとM保母が何か漏らしてしまう〈話してしまう〉。
それは保育園にとって、不利な事である。
そのような理由から今まで会わせる機会を奪っていたのだろうと思いました)

『愛也加の保育を直接担当したM保母に会いたいので連れてきてください』とお願いしました。

【四十九日法要】

平成9年5月31日、いつも出て来る保育園関係者、主任保母と一緒に、やっと愛也加の担任の『M保母が来てくれました』

M保母は、愛也加が亡った後、お通夜もお葬式も来てなかったので、この日、初めて仏前に手を合わせて、お線香を上げました。

事故当日、愛也加を朝預けてから、どういう園生活を送って、何故、死に至らなくてはいけなかったのか?
どういう状態で亡くなっていったのかが詳しく判る!私は真実だけが知りたくて、この日を待ち焦がれていました。

しかしM保母は手帳を開いて、そのメモを読みながら、
9:00
父親が連れてくる

9:30
お集まり 愛也加はベット、月齢の小さい子は部屋で、少し大きい子は、お外遊び、先生は3人

10:30
おむつ交換

10:35
愛也加のおむつ交換

10:40
泣き止んだ

10:42〜43
泣き止んで…(異常を発見)

10:44
隣の病院へ

簡単な内容の説明でした。

「何故、うつ伏せにしたのですか?」の質問に、『うつ伏せに寝かせたのではなく、腹這いに置いただけ・・・』と、園長と同じように説明しました。

『うつ伏せ寝』と『腹這いに置いただけ』とは、どのように違うのですか?
と質問すると黙りこんでしまいます。
そして、「顔の向きは?」と聞くと、決して「真下」とは答えず、「右頬を下につけていた」と答えていました。


私は愛也加が亡くなって以来、SIDSに関する本を買って読んでいました。
『乳幼児の突然死は、うつ伏せ寝と何らかの関係がある!
その事を保育している先生は知っていましたか?!』と質問すると、
『はい…窒息死とSIDSの危険があるので、うつ伏せ寝は、うちの園では取り入れていません』 と、
乳児保育園の園長が答えました。

『では何故、愛也加はうつ伏せで亡くなったのですか?』と質問すると、
『ずっと、ぐずり泣きをしていたから、体勢を変えてやれば落ち着くかもしれないと思い、うつ伏せに変えました。
おむつ交換のときも、声を掛けながらやったのですが、とにかく泣いていて…だからおむつ交換の後、腹這いにしてみました。
そして隣の子、隣の子と交換しているうちに、泣き声が止まったので近寄ったら、ダラリとした様子だったので、
すぐに理事長先生のところに報告に行きました』とM保母は説明しました。

私は東京の厚生省(当時)SIDS研究班班長の、仁志田先生に電話で愛也加の死について相談していました。

仁志田先生は、
『うつ伏せにされた事が引き金になったかもしれない・・・』
また、『愛也加のようにずっと、ぐずり泣きをしていて、
短時間のうちに亡くなるような突然死はSIDSではない』と聞いていました。
仁志田先生は
『典型的なSIDSは、睡眠中に苦しがるような前兆もなく発症し、発見時には既に死亡しているかそれに近い状態』
また『長年の研究でようやくSIDSの中心病態は、睡眠時の無呼吸とそれに伴う呼吸中枢の未熟性から起こると理解されるようになり、そこに研究の焦点が絞られてきた。SIDSの殆どは睡眠時に起こるものであり、むしろ睡眠時以外に起こる突然死は、SIDSではないと言っても過言ではない』と、本に書かれていました。

また、SIDS医学アドバイザーの先生にも相談していました。
その先生からもSIDS自体が、まだ原因究明できていないから、『うつ伏せにした事が原因とまでは言えないにしても、誘引、きっかけになった可能性はある・・・』

と聞いていました。

私は、

『うつ伏せ寝にされていなかったら、絶対に愛也加は死んでいないと思います』

保育園関係者のみんなの前で言いました。

すると主人は、
『そういう危険性を知りつつ、うつ伏せにしたのならば、うつ伏せにした事について、責任を感じませんか?』と尋ねると
「その事につきましては、また園に持ち帰って、話し合って出直します。」と答えました。

【真実を求めて】

私は市役所の担当の方に会いに行きました。事故当日、保育園から、どの様な報告があったのか教えて頂きました。

ここには、M保母が説明した内容と、少々違いがありました。

・10時30分、重湯を与えたが、飲まなかった。
・落ち着かせるためベットに置いたが、毛布は掛けてない。

そして驚いた事に、あの園長は、
『新聞の取材やマスコミには病死との事で対応して!』と言っていたのです。

愛也加の死亡が確認された、たった15分後、 保育園のメンツや体裁を気にして、いい加減な言葉を言っていたのです。
解剖結果どころか、まだ解剖のため長崎医大に出発もしていない時に、なぜ病死と決めつけ、保育園側の都合の良いように嘘ばかりを言っているのか…怒りが込み上げてきました。
これまで、『有りの侭の事を、正直に・・・』と言って、説明されていた事が、沢山の嘘や隠し事で、全て信じられなくなりました。

私は苛立ちから、市役所の担当の方に怒りをぶつけました。
『保育園は、うつ伏せ寝の危険性を知りなが、窒息死、SIDSの予防のための努力をしなかった。
保育園の管理に注意を払う責任はあるはずではないでしょうか。
園児の定員オーバーと先生の人数が足りずに居るのではないでしょうか。
市役所へは、園児の人数が126名、先生は25名、自由児なし、と届出していますが、きちんと調査して整えないと、第二の被害者が出てしまいます。それだけは止めたいです。』と
(M保母の説明では、零歳児教室の先生は3人と言いました)
その担当者は、「自由児の噂は以前から聞いた事がありました。
しかしその問題は『市役所の仕事ではなく、県庁の仕事なので…』」と言われました。

【警察署を訪ねる】

《平成9年6月5日》
次に、警察署を尋ねました。
きっとM保母は事故当日、取調べを受けて、愛也加の死亡までの経緯を正直に話していると思ったからでした。

私が刑事課に着いた時、刑事課長は席を外していて、他の刑事さんに、愛也加の事故からこれまでの経過を話しました。
そして、『保育園から嘘ばっかりを言われて、何が真実なのか解らない。
しかし私は、親として愛也加の最後がどうだったのか当然知りたいです。
保母さんの証言した事を教えてください』と訴えました。
すると、その刑事さんは、
『もう、この件については事件性が無かったという事で完結していますので』と言って、証言内容の報告書を見せて頂きました。

コピーを欲しいとお願いしましたが、『コピーは遠慮してほしい…』との事でしたので、その内容を全て写し書きさせて頂きました。

しかし、そこにも大変な大嘘を証言していた事が書かれていました。

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《報告書》

○○ ○○ ・ △△才(M保母の氏名 ・ 年齢)

朝、母親が9時前後登園させる。
(正しくは、愛也加の父親が登園させています)
いつもより顔色が悪い。
体温36.2℃

ずっと泣き放しの状態であり、普通よりも泣き方がおかしい様子であった。
しかし抱いてあやしていれば、落ち着くような状況であったため、母親から連絡があったように、お腹がすいているかなと思っていた。

よって午前10時前ごろ、重湯をスプーン3さじ食べさせてやっている。

午前10時30分ごろ、
おむつの交換をしてやり0歳時室(0歳児室)備え付けのベットに
あお向け状態で寝せたが、その間ずっと 泣いたままの状況であった。

その後、他の子に給食を食べさせていたため、しばらく目を離したところ、午前10時45分ごろ、急に泣き声がしなくなったので、様子を見たところ、本人は、

あお向けの状況で掛けフトンはかけずにグッタリした状態、 顔面蒼白
で、力が抜けていて、抱いた時には、ぐったりしていた状況。

よって急いで隣にある○○医院に 午前10時55分ごろ搬送したものである。

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と記載されていました。
私は大変驚いて、《あお向け寝》ではありません。《うつ伏せ寝》にされていたんです。
何故、あお向け寝と書いてあるんですか!?と質問しました。
刑事課長もそのころ戻ってきていて、

『保母さんの証言した通りに報告書は作られています』と言われました。
《最も重要な部分が全く逆に・・・》



この写真は後に、M保育士本人が実際の保育園ベッドで人形を使い、愛也加の異常を発見した当時の状況、体の向き・布団の状態など正確に再現したものです。
(両弁護士立会い・撮影/写真専門家)

M保母はあまり泣くからと言う理由だけで愛也加をうつ伏せ寝にして、ぐったりした状態になるまで何の観察もしていませんでした。
死亡が確認された後、あんなに泣き崩れていたM保母、当日の警察の取調べでは、
『あお向け状態』に寝かせ、発見時も同じく、『あお向けの状況』 『掛けフトンは掛けず』と証言しているのです。
M保母は、我が身の可愛さからでしょうか、このような状況であっても ”
” が付ける人間だという事に、私たち遺族は、心の底からガッカリしました。

赤ちゃんであっても、一人の人間なのです。命の重さに違いはありません。
これから、どんな未来が待っていたでしょうか?
私達家族の将来設計は崩れてしまい、もう戻らないものになってしまった今、保育園理事長や園長、M保母までも愛也加の死を、何とも思っていない、と言う事が解りました。

保育園側は、いくつもの保育施設や当時建設中の福祉施設を赤ちゃん一人の命を公にして、パーにはさせられない!
どういう手段を取っても病死にしないと、これまでの積み重ねが水の泡になる!そう思ったのかもしれません。

しかし私達家族は、愛也加の命を奪われてしまい、将来の夢も叶えることが出来なくなりました。
しかし、平然と何も起こらなかったかのように、保育園を続けている保育関係者には、絶対に愛也加の仏前に手を合わせ、心の底から謝罪していただきたい…謝っていただきたい…
そして、二度とこのような事故が起こらないように改善し、日々、気を引き締め、大切な将来のある子供たちの命を観察し続けて欲しいと思います。
愛也加の場合、どこがどうだからSIDSだと言えるのだろうか…
保育園側のついた嘘が、窒息死を隠す何よりもの証拠ではないだろうか…
私には、そう思えて仕方がありません。

【長崎県庁を訪ねる】

《平成9年7月15日》
長崎県庁に出向き、県庁としての保育管理と、「本来あるべき認可保育園の保育体制」 について話し合いました。
私は、「今のままの体制で保育園を続けると、第二の死亡事故が起こってしまう!
早めに監査に入り、保育環境を整える指導をしてください。」と、お願いし、監査後もう一度会ってもらえるよう約束しました。

【解剖結果報告書】

《平成9年7月25日》
刑事課長より、「愛也加の解剖結果が出た」との連絡がありました。
丁寧に愛也加全体の事がまとめられた解剖報告書の最後に、死因が書いてありました。

『いわゆる、原因不明の乳幼児突然死症候群(SIDS)の可能性が大と考える』

そもそもSIDSの定義は「それまでの健康状態および既往歴からは、全く予測できず、しかも死亡状況および剖検によってもその原因が不詳である、乳幼児に突然の死をもたらした症候群」なのです。

愛也加は死亡するまで、健康で病気ではありませんでした。予測も出来ませんでした。
しかし死亡状況は全く窒息が起こらないと言い切れない状況でした。

・ずっと、ぐずり泣きしていて、相当の疲労が溜まっていたと考えられる。
・生まれて、一度もうつ伏せ寝の経験がないのに、うつ伏せ寝にさせられた。
・寝かされたマットはアイロン台の硬さでない、2年9ヶ月間、長女が使用していたマットで、指を刺すと沈んでしまう軟らかさだった。
(愛也加と同じように、生まれて一度もうつ伏せ寝の経験がない赤ちゃんの”うつぶせ寝の実験ビデオ”をご覧下さい。)


この様な状況で亡くなっていき、窒息死ではなくSIDSだったと言われても、どの親も、納得できないのではないでしょうか。

【再度、長崎県庁へ】

《平成9年7月29日》
約束の日に県庁へ行くと、
《自由児 (佐世保市の手続きなく入園している園児) の存在が発覚しました》

その園児達は出来るだけ早目に対処して他の保育園へ移動してもらうようにしました。
そうなれば、これまでの保育体制と違って、園児にとっても保育者にとっても、より良い環境となるであろう、そうなって欲しいと願っていたので、安心しました。

それと待機児童の問題も解りますが、無理矢理、園児を預かり、きちんと観察出来ないまま質の悪い保育がされると、物言えない赤ちゃんにしわ寄せが来る・・・
それではますます事故が増えるのでは・・・

その時の私は、他の赤ちゃんも愛也加のように、面倒を見て貰えないまま同じような事故が起こってしまうのだけは、どうしても止めたい・・・そう強く思っていました。

【医大の解剖医を訪ねる】

《平成9年9月9日》
長崎医大の解剖医に、愛也加の死亡時の状況がどの様に伝えられたのか会って聞いてみました。

案の定、刑事さんからの報告で、M保母が嘘の証言した
《あお向け寝》の死亡状況が伝えられていました。

解剖医は私に、「遺体を解剖して得られる、肉眼的所見、組織学的所見、及び血液検査等の所見を総合して、死因の判定をし、死亡時の状況(これはあくまでも伝聞によるものでしかありません)を参考にしております。」と教えてくださいました。

病死となる死因は見つからなかった。
死亡時の状況から鼻や口を塞いで、窒息を起こすとは考えられない。
嘘の
《あお向け寝》の状況が伝えられているのだから、SIDSと結果が出されても、無理のないことかもしれません・・・
しかし、これで納得する事は、絶対に出来ませんでした。
この解剖結果は本物と思っていません。
真実が伝えられていないのだから再鑑定をして、本当の結果を出さないといけないと思っていました。

皆さん、想像して下さい。
生まれて四ヶ月の泣いている赤ちゃんが、マットの上に”あお向き”に寝かされました。
顔の上には勿論の事、全身にもフトンは掛けず、残念な事に、保育者は誰一人として観察していませんでした。
しばらくして、赤ちゃんに近寄ったら、ぐったりしていて、死亡か、それに近い状態でした。
解剖しても、病死してしまう様な原因がない。死亡状況からも、窒息死する様な原因がない。
死亡する原因が不明。

そこで、原因不明の乳幼児突然死症候群(SIDS)が登場するのです。
しかし、SIDSの診断名が決定的なものと言えないため直ちに免責されるものではないようです。
例えば、五ヶ月の乳児の死亡状況に不審な点がありながらも、解剖で窒息死と断定する重要な所見が発見されなかった為、当時SIDSと診断されたましたが、その六年後、次子を身体的虐待で殺害し逮捕され、その自供から『長男も泣いてどうしようもなかったので、うつ伏せにして頭から厚手の布団を何枚もかぶせて外出し、帰宅したら死んでいた』と、真実が判明した症例があります。
決して安易にSIDSと診断しては、ならないはずです。
遺体を解剖して「これはSIDS!」・「これは窒息死!」と、はっきり判断できるわけではありません。
同じ遺体であっても、解剖医によっては、窒息死と診断する事もあれば、SIDSと診断する事もあります。
解剖所見のみでは、SIDSも窒息死も、殆ど変わりはありません。
ですから、死因を判断するのに、死亡時の状況が必要となるのです。

しかし、まだSIDSの診断基準がないに等しいため、安易にSIDSと診断されているのが現状です。

死に至る病気があれば、それは病死、内因死なのです。転落したり、紐にぶら下がったり、水に溺れたり、虐待されたり、窒息したり、それは全部、病死ではなく、事故死、外因死なのです。

愛也加の場合は、どちらが当てはまると思いますか?

【うつ伏せ寝にした事についての責任】

主人が四十九日の時に、うつ伏せ寝にした事について、『責任は感じませんか?』と尋ねましたが、園長は『責任の問題は、園に持ち帰って相談します』と言って帰ってしまいました。
その後、いつものように、連絡はありませんでした。
そもそも保育園の園長は事故当日、私達に
『この問題は園と園長の責任です』と、言っているのです。
事故を起こした直後は人間味があったのに、時間の流れとともに人間らしい心は消え去り、園を守る為だけの園長へと変わり果てました。
そんな保育園側だったけど、いつか正直に話してくれて、いつか愛也加に謝ってくれるんじゃないかと少しの期待をして、なるべく冷静に怒鳴り散らしたりせずに話し合いをしてきました。
そんな私達の気持ちなど一向に分かろうともしませんでした。
ある時は、「正座している足がしびれたので崩させて」とか話をしているのに、寝ているのでは?と思えるような時があったりと会う機会を重ねるうちに、だんだん顔を会わせる事が嫌になってきました。
話し合いでも嘘を付かれたり、ごまかされたりと、少々いい加減にして欲しいという気持ちもありました。

私は「うつ伏せ寝にされていなかったら亡くなっていない」と言ったけど、実際、保育園側もうつ伏せ寝の危険性を知りつつ、生まれて一度もうつ伏せ寝をした事のない赤ちゃんを、うつ伏せ寝にして目を離した結果の事故だから、少なからずとも、謝罪の気持ちはないのかな…と思っていました。

《正直に愛也加の最後を教えてくれて、愛也加に謝って欲しかった・・・それだけなのです。》

それなのに、謝るどころか、私達の気持ちなど全く無視して、嘘をつく…
だからつい、主人も『責任』と言う言葉を使ってしまったのでしょう。
待っていても連絡がないので、こちらから電話を入れると、
『示談金…』と言いました。

『福岡の弁護士さんに頼んでますので今週末には返事が出来ると思います』と言われました。
その後、保育園側の弁護士が家に来て、
『SIDS は病気なのだから、園には責任がない!』
『どこででも起こり得るのです。見舞金ということで30万円出します』と言う事でした。

「責任がない!」とは、どう言う事!?正直、馬鹿じゃないかと怒りより先に溜息が出てしまいました。
真実もまだ隠されている中で、「諦めろ!」の様に言われても『はい。そうですか』と、このまま引き下がる事は出来ません。
あまりにも愛也加が可哀想です・・・
苦しみ、もがいて、泣き叫んでも、それでも、誰も助けてくれず、苦しみながら、たった一人で死んで逝った…
そう考えると、やっぱり愛也加に謝って欲しい…そう思っています。

保育園に電話を入れて話がしたくても、弁護士さんにお任せしてますので、弁護士さんを通さないと直接、お話しは出来ません!
と言われ、聞きたい事も聞けなくなってしまいました。

SIDSと解剖結果が出るように仕向けたと解った今、ここで諦めて泣き寝入りするか、それとも、私達も弁護士さんを探して、付けないといけないのか主人と相談しました。
主人は「裁判までは・・・」と言いましたが、私はどうしても隠された真実が知りたかったし、解剖結果に納得が出来ず、諦めたくありませんでした。
裁判は簡単でない事は解っていましたが、お互い弁護士さんを付ける事で話し合いをし、真実が分かれば、裁判までしなくても良いと思っていました。

簡単に弁護士さんは見つかりませんでした。特に、医療問題になると、弁護士さんが少ないのです。
私達は、長崎・福岡の弁護士さんを探しました。
やっと医療過誤の弁護士さんに相談できました。
まずは証拠保全をお願いしましたが、『SIDS』と結果が出ていると、今の裁判は難しいと言われてしまいましたが、ここで諦めると、一生後悔する事は分かっていました。
保育園の話し合いも全く進まず、結局裁判をする事になってしまいました。

また新しい弁護士さんを探し、現在も一生懸命頑張っていただいてます。

私は、真実を知るため、出来る事をやってみました。
まだ隠された真実はあるのですが、私の力ではどうする事も出来ませんでした。
色々調べるうちに、愛也加の死因はSIDSではなく『窒息死』であると確信しました。
保育園は過失を認め、愛也加に謝ろうとはしませんでした。真実を明らかにする為、裁判を起こさずを得ませんでした。
裁判をしたからって、愛也加が戻って来る訳ではありません・・・

【保育園側の「嘘」が発覚】

裁判が始まれば何もかも明確にわかると思っていましたが、現実はそう言うものではありませんでした。
保育園側から出された事故当日の園児の人数、保育者の人数、看護婦の有無、
これらは、すべて虚偽(嘘)の書類が提出されました。
そして、M保母は証人尋問の時、提出した内容の通りに人数を合わせて言いました。

保母の人数は5名、零歳児室の園児の在籍数は21名、事故当日は2名欠席していて19名、自由児は2名いました。
そして、看護婦も居ました。


しかし弁護士さんによって、この証言が嘘であることが判明しました。
保母の人数は4名(多分3名のはずなのです)。
正規の園児の人数も自由児の人数も定かではありません。
「看護婦が居た」と言っていましたが、居なかった事も分かりました。
最低でも看護婦を含む7名の保母が保育に当たらなければいけないはずです。

愛也加が異常事態で発見された時の顔の向きを、私たちには
『右頬を下』と、言って説明しましたが、裁判所の法廷でM保母は、『左頬を下』と、またも証言を変えました。

愛也加のおむつ交換が終わったあと、『隣の子、隣の子とおむつ交換していると、泣き声が急に止まった。』と、説明していまいたが、裁判所へ提出された書類で、
『陳述書』には、
「愛也加のおむつ交換後、一歳児用の食卓を用意し、給食の準備、それからお祈り、給食の歌、歌い終えて給食にかかろうとした時、ぐずり泣きがとまっていたので、近寄った。」

『答弁書』では、
「愛也加のおむつ交換が終わり、まだ、昼食の時間ではなく、保育ベットに腹這いにさせていた。
10時45分ごろ、他の園児のおむつ替えをしていて愛也加のぐずり泣きが止まったのでベットを覗く。」

と、なっていました。
裁判官が「どちらが正しのですか」と聞くと、「陳述書の方が合っています…」と答えました。

【最後に…】

保育園側の
虚偽(嘘)がここまで判明し、再鑑定では、『愛也加の死因は、鼻口腔閉塞による窒息死の可能性が高いと考える』と報告されました。

これらの事を踏まえた上で、判決はどのように下されるのでしょうか。
4年近く、真実を求めてきた裁判も平成15年1月30日に福岡地方裁判所にて判決を迎えます。
結果は誰にも判りませんが、またその時に結果を報告させて頂きたいと思っています。

⇒ 判決が言い渡されました

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