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愛也加(あやか)の最後は保育園のベッドでした。
幼くして未来を失くした、私の大切な天使… |
乳幼児突然死症候群(SIDS)と窒息死(事故)の境界線…
その真実を解き明かすために闘った記録。 |
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2003年4月14日、愛也加は今年、小学一年生のはずでした
愛也加が亡くなって、6年が経ちました。
生きていれば小学校入学で、ランドセルや机、学用品を買い揃えて楽しくお姉ちゃんと登校していたことでしょう。
本来ならば入学祝いのはずが、無念にも愛也加の七回忌になりました。
毎年春になると思い出してしまう愛也加の亡くなった状態、担当保育士の泣き姿、園長の嘘・・・
それと6年前の4月14日、朝から見せてくれたあの可愛かった笑顔・・・
楽しかった頃の思い出よりも、辛く悲しい思いの方が大きくなってしまい、
何とか楽しかった思い出を大きくしたいと頑張っても、桜の花が咲くこの季節が私を悲しみで包み込んでしまい、そこから這い出すことは出来そうもありません。
今、愛也加が元気でいれば、どんな女の子に成長しているだろう?
どんな声でお話ししてくれるだろう?どんな笑顔で笑ってくれるだろう?何が一番好きだったのかな・・・?
いろんな想いは巡りますが、愛也加のことを一つも知ることができない自分が悲しくなります。
これまでの悲しみ、辛さをここまで大きくしたものは、やはり保育園の対応と園長、担当保育士の 「嘘」 でした。
愛也加の死亡時の状況を真実とは全く反対に、窒息死とは考えられないような状況(虚偽の「あお向け寝」「布団はかけず」など)を作り出し、警察の取調べに多々の嘘を言っています。
警察の取調べに嘘をつくなど稀だとは思いますが、訓練を受けている警察官が、嘘を見抜き、解剖医へ真実が伝わり、真実の死亡状況から窒息死と結果が出されていたなら、裁判という苦しい選択はせず、もう少しましな生活を送っていたかもしれません。
嘘をついた保母への怒りは当然ですが、警察に対しても同じような憤りを感じます。
1月30日の判決で、保育園と担当保育士の過失が認められましたが、それでも保育園側は過失を認めず、控訴という形をとりました。
裁判で窒息死認定の勝訴判決が出されましたが、『やっと愛也加の本当の死因が出された。保育園、保育士の過失が認められた』
だからと言って、手を叩いて大喜びをすることなんて出来ないのです。
やっぱり愛也加は苦しい思いをして、助けてと一生懸命声を上げて泣いたのに、そこに居た誰一人も愛也加の危険な状態から救ってやれなかった。
苦しんで、苦しんで、一人ぼっちで亡くなっていったと思うと、親として助けてあげられなかったのが、とても残念で悔しいし、担当保育士に対しても怒りがこみ上げてきます。
愛也加が亡くなっていった死亡時の状況から、窒息が起こらない方がおかしい事を一番よく分っている保育園側だからこそ色々な嘘をつき、発言も二転三転させながら隠してきたのだと思います。
裁判を起こしていなかったら、このままSIDSとして片付けられ、闇に葬られてしまう筈でした。
保育園側、保育士は、うつぶせ寝の危険性を認識していたにも関わらず、SIDSで終わっていれば、今もなお危険なうつ伏せ寝を続け、観察を怠り、放置しているかもしれません。
今回の判決で、社会全体に『うつ伏せ寝の危険性』を知ってもらえたのではないかと思います。
しかし、未だにうつ伏せ寝を続けている保育施設や医療機関があるのも事実で、物言えぬ赤ちゃんが、この世から大切な命を失しているのも事実です。
「よく眠る、手がかからない、また泣き続ける子を落ち着かせる為」などと、誤った知識、認識不足から改善していく必要があると思います。
大袈裟と思われるかもしれませんが、一生、心の底から笑える日はもう来ないのではないかと思います。
いつも頭の中に愛也加が居て、私の中には愛也加が居る。
そして現実があり今の家族が居ます。
どこへ行っても、何をしていても、ここに愛也加が居ればもっと楽しいのに・・・もっと面白いのに・・・
愛也加が居てくれれば世界一幸せな家族だろう、と思う時がよくあります。
私達がいったい何をしたのでしょうか。
私達がなぜ、ここまで辛く苦しい思いをしなくてはいけないのでしょうか。
それでも保育園側は、保育園と保育士を守り続け、私達をズタズタに苦しませ続けるのです。
とても残念な事ですが、判決後すぐに控訴状を提出した保育園に対し憤りを感じます。
弁護士さんより附帯控訴の提案がありましたが、附帯控訴をすることにより得るものがあるとしても、それは、ただ賠償金の拡大であり、私達が本来求めているものではありません。
私達は、一審判決以上のものを求める考えは全くありません。
世間から、『お金が目的』と言われ、私はどれほど傷付いてきたか…
そのたび涙を流し、なぜ自分の娘が短時間の間に死んでしまったのか?
それを知ることが、そんなにいけない事なのか?
愛也加の死の問題に何も納得しないまま、このまま諦めて供養にだけ毎日明け暮れろと言うのか。
例えば、愛也加はSIDSという病気で、「すやすやと眠ったまま、苦しまずに死んでいった」と思えれば、どれほど楽か…
しかしそれは、親の自己満足であって本当に苦しんで逝った愛也加はどうなるのか…
保育園はそのままでいいのか…
また同じ事を繰り返さないのか…と考えたとき、親として私がやれることは全てやりたいと思いました。
そしていつか愛也加に会えた時、「あやたんの事ずっと思いながら頑張りました。
でも、ごめんなさい…あんな杜撰な保育園に預けてしまって、ごめんなさい…」と・・・
これまでの私の行動なしには愛也加に合わせる顔がないような気がします。
亡くなっても愛也加は私の子供です。私は愛也加の親です。親としての義務ではないかと・・・
だから「私の気持ちなど何も知りもしないで軽々しくお金欲しさに・・・」なんて言わないで欲しい…それが本音です。
これまでの裁判で私達が求めたものは、愛也加の死亡時の状況を明らかにし、その真実から考えられる死亡原因の究明でした。
また、愛也加の死から得られた教訓を活かし、うつ伏せ寝の危険性を幅広く伝え、今後、社会全体で赤ちゃんの死を防ぎたいと思っていました。
一日も早く保育園側が窒息事故を起こした事実を認め、もう二度と未来のある子供の事故を繰り返さないように、日々務めて欲しいと願います。
亡くなったものは、もう戻りません。何をどうしても、愛也加は戻りません。
乳児が死亡し、『解剖なし・死亡状況調査も曖昧なまま』、SIDSの診断がされています。
SIDSか窒息死かを天秤に掛けるのではなく、窒息死でない事が完全に証明されて、そのほか死亡に繋がる原因が見出せなかったときに初めて診断される除外診断名です。
よほど、ちゃんとした疾患名のように聞こえますが、未だ原因不明な症候群なのです。
今年3月8日に北九州で行われたSIDS学会で、ある医師は、
「乳幼児の死亡現場で解剖もしていないうちから、あまりにも無責任にSIDSを持ち出す関係者が居る」、
「死亡時の現場の情報が最も重要である」
「解剖医が少しでも何らかの不審を感じた場合には、その現場へ直接行ってみるのも良い」
と指摘されました。
SIDSは除外診断であるというのに、いろんな場所で間違った使い方をされています。
窒息、虐待・・・様々な乳児の死亡を、恰も「SIDS」と診断されてしまう現状の裏には、「保護責任者への心情を配慮する一つの診断名」なのではないかという思いがあります。
家庭や保育園で亡くなった乳児に対しSIDSと診断することによって、「その親や担当保育士を保護する」。
しかしそれでは亡くなっていった子供の人権はどこに存在するのでしょうか。
亡くなって逝った者だけに責任を押し付け、どんな保育内容であっても、どんな死亡状況であっても、「SIDSを持ち出せば責任逃れができる」、「そこに居た保護責任者は守られる。」
こんな事があってはならないのです。
窒息や虐待で亡くされてしまった命でも、保護責任者の将来を考えSIDSと診断することが許されてしまっているのです。
このような状態が続けば、なぜ乳児が死んでいったのか、将来的に活かされる事はなく、不可抗力で誰にも防ぐことが出来なかった、と宥められ救われるでしょうが、これではいつまで経っても乳児の死亡を防ぐことは、誰にもできないのです。
乳児の死因究明に繋がらないのはそこにあると思います。30年も前からSIDSを研究しているのに未だに原因不明なのです。
愛也加のホームページにも、このような内容のメールが送られてきた事がありました。
「愛也加は亡くなり将来を失くしたが、もう戻ってはこない。しかし保育士には将来がある。
守られるべきものは保育士である」という内容でした。
このような考えをもつ人間が存在する限り、乳児の死亡はなくならないのです。
年間の乳児の死亡のうち、大多数を占めているSIDSの存在は、今の間違った診断方針があるからだと、実感できるのではないでしょうか。
愛也加へ
あやたん、もう少し裁判が続きそうです。もう、うんざりです。あの人達の顔も見たくない。
あやたんも見ていたと思うけど、判決の日、裁判所で保育園関係者の、あの人達は笑顔で話し、笑っていました…
あやたんを最後に見ていた担当保母の、あの笑い顔を見ましたか?
ママには我慢できませんでした。
あの人の笑い顔を見たとき、あまりの悔しさに涙が溢れ出ました。本当に、本当に我慢できなかった…
早く会わずにすむようになりたいです…ママより |
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